公開: 2019年9月23日
更新: 2019年9月xx日
1941年10月、近衛総理大臣は、近衛内閣の閣僚であった東條陸軍大臣から提起された内閣総辞職を要求する案を受け入れ、総辞職しました。東條大臣は、近衛総理大臣と外務省が推進しようとしていた米国との和解交渉で、近衛首相が中国大陸からの日本軍の撤退を条件としたことに対して強く反対しました。近衛首相は、この内閣内の意見の不一致だけでなく、ソ連のスパイであったゾルゲらへの情報提供者が、近衛首相のブレーンとして日中戦争を主張していた朝日新聞の尾崎秀実も含まれていたため、その責任をとって辞職せざるをえなかった状況にあったことが主たる要因であったとされています。この総辞職によって、東條英機を総理大臣とする東條内閣が発足し、日本の第2次世界大戦への参戦が準備されました。